姜撫・桑道茂
- 姜撫は宋州の人。仙人の不死術を会得したと自称し隠棲。開元末、太常卿韋縚の名山巡拝で招かれ集賢院に居した。「常春藤(太湖産)を服せば白髪が黒くなり長生できる」と説き、玄宗が太湖に使者を送って群臣に配布させた。「終南山の旱藕」も延年の効ありと称したが、右驍衛将軍甘守誠が「常春は千歳藟、旱藕は杜蒙にすぎず、姜撫が名を変えて神秘化しただけ。民間で酒に浸して飲み急死する者が続出している」と指摘し中止された。姜撫は恥じて薬を求めると称し牢山へ逃げ去った。
- 桑道茂は寒門の出で系譜不詳、太一遁甲の術に優れた。乾元初、安慶緒包囲戦で「三月壬申、西方の軍が潰える」と予言し的中させた。翰林待詔として、建中初「国家に三年以内の厄あり、奉天に王気あるので城壁を高くし万乗を容れられるようにすべき」と進言、徳宗はこれを信じ京兆尹厳郢に築城させた。後に朱泚の乱で徳宗が奉天に逃れ危機を脱した際、この城が役立った。
- 李晟に対し「私の命は公の手にある」と自ら賊への協力を告白して赦しを求め、後に晟の弁護で死罪を免れた逸話(縑を交換し証拠とした)、藩鎮の混乱を「元和の年号で鎮まる」と予言し的中させた逸話、地の風水を巡る予言(後年の温造の死)、杜佑・李泌への予言も的中したと伝えられる。