新唐書卷二百四 列傳第一百二十九 張果

方士の奇譚

  • 張果は姓名・世系を隠して神秘化し、中条山に隠棲、汾晋の間を往来した数百歳の仙人と伝えられた。武后の召しに応じたふりで死を装い、後に恒州山中で目撃された。
  • 開元二十一年、刺史韋済の上奏で玄宗が通事舍人裴晤を遣わすと、張果は気絶する演技で応じず、中書舍人徐嶠が璽書で丁重に迎えてようやく上京、集賢院に居した。玄宗の問いに神仙の事を秘して答えなかった。断食に耐え大酒を飲み「われは堯の丙子年に生まれ侍中の位にあった」と称したが、実際の容貌は六、七十歳程度であった。邢和璞・師夜光の術をもってしても張果の実像を見抜けなかった逸話が伝わる。
  • 玄宗が寒中に強い酒(堇)を飲ませても平然としていたが、歯を落として新しい歯を生やす奇術も見せた。玉真公主を降嫁させようとした際、張果は「公主を娶れば平地に公府ができる、畏るべきこと」と予言めいた言葉で固辞し、詔が来る前に見抜いていたことが示される。銀青光禄大夫・「通玄先生」の号を賜り帛を賜って恒山蒲吾県に帰り、まもなく没した(屍解との説もある)。玄宗は棲霞観を建てた。
  • 師夜光は薊州の人、元は僧侶。九仙公主の縁で温泉に召され、四門博士に叙され幸臣同様の待遇を受けた。邢和璞は黄老を好み『穎陽書』を著した。
  • 天寶中、孫甑生という技術者が石を動かし草を人馬に変える幻術で楊貴妃に愛された逸話も付記される。
  • 羅思遠は隠身の術に優れたが玄宗にその極意を伝えず、試させても常に衣帯が残ってしまった。玄宗は怒って布で包み圧殺したが、数日後に使者が思遠が西へ駕して去るのを見た逸話が伝わる。