新唐書卷二百四 列傳第一百二十九 甄權

医術の名家

  • 甄權、許州扶溝の人。母の病から弟の立言とともに医書を究め名医となった。隋で秘書省正字を病と称して辞した。魯州刺史庫狄嵚の風痺を鍼で治した逸話が伝わる。貞観中、百歳を超えてなお太宗の訪問を受け、朝散大夫に叙され几杖・衣服を賜った。享年103で没し、『脈経』『針方』『明堂』等の図書が伝わった。
  • 弟の立言は太常丞。杜淹の腫瘍を診て死期を的中させた逸話、道人の腹中の蠱を診断し雄黄で治した逸話が伝わる。
  • 医で名高い者には他に清漳の宋俠、義興の許胤宗、洛陽の張文仲・李虔縱、京兆の韋慈藏がいた。
  • 許胤宗は陳の新蔡王外兵参軍から、王太后の風病を黄耆・防風の煎湯を薫蒸する治療法で治し義興太守。武徳初、散騎侍郎に累進。関中の骨蒸病を数多く治療した。著述を勧められても「医は意にあり、脈の妙は伝え難い」と述べ拒んだ逸話(本文に長い医論が引用される)。享年70余で没した。
  • 張文仲は武后朝で尚薬奉御。蘇良嗣の急病を的確に予見した逸話、風病・気病の研究に優れ『四時軽重術』十八種を著した。李虔縱は侍御医、韋慈藏は光禄卿となった。