北門学士
- 後魏京兆王子推の裔。祖の白澤は武徳中、梁・利十一州都督、新安公。萬頃は通事舎人から出仕した。
- 李勣に従い高句麗を征討、書記を務めた。将軍郭待封の兵糧輸送が遅延した際、離合詩で暗号伝達を図り李勣の怒りを免れさせた逸話や、莫離支への檄文で鴨緑江の防備の弱点を指摘し、逆に高句麗に固守されて進軍を阻まれた失策もあり、高宗により嶺外に流された。
- 赦免後、著作郎。武后の命で周王府戶曹参軍範履冰・苗神客・周思茂・胡楚賓らと禁中で撰述し、『列女傳』『臣軌』『百僚新戒』『樂書』など九千余篇を編んだ。朝廷の疑義に密かに関与し宰相の権を分けたため「北門学士」と称された。
- 放達で細かい検束をしなかった。武后朝で鳳閣侍郎まで昇ったが誅殺された。
附 範履冰
- 河内の人。垂拱中、鸞台天官二侍郎・春官尚書・同鳳閣鸞台平章事、修国史を兼ねたが、載初初、逆人推挙の罪で殺された。
- 苗神客は東光の人、著作郎で終わった。
附 周思茂
- 漳南の人、弟思鈞とともに早くから知られた。麟台少監・崇文館学士に至ったが、垂拱中、獄死した。
附 胡楚賓
- 秋浦の人。文章に優れ酒を飲んでから書くのを常とした。高宗に金銀の杯で酒を賜られ、文を成すたびに賜杯された。家では深酒し財を使い果たしたが、賜り物で常に補われたという。慎重な性格で禁中の事を語らず、酔っても答えなかった。崇賢直学士を兼ね没した。
萬頃孫 正
- 名節を修め明経高第、監門衛兵曹参軍。史思明の乱で父を山中に匿い、賊に懸賞されたが「賊の禄で親を養えぬ」と拒み、兄弟ともに殺害された。父も仰薬して死んだ。事平定後、節を守った十一姓の筆頭として顕彰され、秘書少監を追贈、子の義方は華州参軍となった。
曾孫 義方
- 京兆府司録を歴任し韋夏卿・李実の二尹に重用された。虢・商二州刺史、福建観察使。宦官吐突承璀の親属を用いたことから李吉甫に召され京兆尹となったが、李絳に嫌われ鄜坊観察使に左遷。苛烈な政治で怨まれたが没後左散騎常侍を追贈された。
曾孫 季方
- 明経に及第し楚丘尉、殿中侍御史。兵部尚書王紹の推挙で度支員外郎、金部・膳部郎中を歴任し能吏と称された。王叔文に憚られ用いられなかった。兵部郎中として新羅に使いした際、新羅が唐の国喪を理由に使者の出迎えを渋ったのを叱責し絶食で抗議、和解にこぎつけた。享年51、同州刺史を追贈。