新唐書卷二百 列傳第一百二十五 林蘊

剛直の士

  • 字は復夢、泉州莆田の人。父の披は臨汀の淫祠を憂い『無鬼論』を著した。
  • 林蘊は経学に通じ、西川節度使韋皋の推官となった。劉辟の反乱に際し逆順を説いて諫めたが聞かれず、投獄され処刑寸前まで至った際「危邦不入、乱邦不居、死ねるなら幸いだ」と大呼した逸話が伝わる。辟は感じて赦し唐昌尉に左遷したが、辟の敗死後、林蘊の名は京師に重んじられた。
  • 李吉甫・李絳・武元衡が宰相のとき、西方辺境政策について六事にわたる諫言(辺境軍の統率者選任、司徒授与の乱発、農民の困窮、辺兵の飢餓、驕将の贅沢など)を書き送った。滄景の程権幕下で書記を務め、軍中の内紛を収めた功もある。禮部員外郎に遷るも、邵州刺史時代に客を殺して江に投げ込んだ罪と贓罪により儋州に流され没した。