新唐書卷二百 列傳第一百二十五 暢當

太子服喪論争

  • 河東の人、父璀は左散騎常侍、代宗朝で裴冕・賈至・王延昌らと集賢院に待制した。
  • 暢當自身は貞元初、太常博士。昭徳皇后崩御に際し皇太子の服喪期間が問題となり、暢當は張薦・柳冕・李吉甫とともに魏晋の既葬除服の先例を引き、既葬・虞・卒哭・除服・心喪三年とする案を上申した。右補闕穆質は反対し古礼の父在為母期喪を主張して激しく論争したが、最終的に既葬卒哭・墨衰奉朝・帰宮衰麻の折衷案で決着した。果州刺史で没した。