裴懷古
- 裴懐古は寿州寿春の人。儀鳳中、上書して下邽主簿に任じられ監察御史に累進。姚・巂道の蛮族が反乱した際、駅を馳せて赴き誅賞を明示すると帰順者が日に千を数え、間もなく首謀者を捕らえて南方を平定、蛮夏がその功を石に刻んだ。恒州の僧が呪詛の罪を誣告された事件では、武后の激怒にも「陛下の法は天下と同一のはず、無辜を殺して聖旨に迎合できない」と冤罪を明かし処刑を免れさせた。
- 閻知微の突厥使節に監軍として同行した際、默啜が可汗を称するよう脅した折、裴懐古も官を授けようとしたが拒み「忠を守って死ぬのと節を汚して生きるのとどちらが良いか、斬られる方を選ぶ」と答え囚われたが逃げ出し、痩せ弱い体で騎馬もままならぬまま山谷を彷徨って并州に至った。長史武重規の暴政の中、果毅の一人が裴懐古と知って助け難を逃れた。祠部員外郎に転じた。
- 姚・巂の酋長らが裴懐古による安撫を願い姚州都督に任じられたが病で辞退した。始安の賊欧陽倩が数万の衆で州県を掠める中、桂州都督招尉討撃使に任じられ、赴任前に書簡で禍福を説くと賊は帰服を申し出、裴懐古はその誠意を信じ軽騎で単身乗り込み撫諭したところ賊軍は大いに喜び略奪品を返して降り、動揺していた諸洞も従って嶺外は平定された。
- 相州刺史・并州大都督長史を歴任し吏民に慕われた。神龍中、左羽林大将軍に召されたが赴任前に并州へ戻ることになり、民は老幼を連れて出迎えた。後任の崔宣道への配慮から迎える人々を追い返させても人々は増える一方であったという逸話が人心の厚さを物語る。幽州都督に転じ両蕃を綏撫し内属の話が進んでいたところ左威衛大将軍に召され、後任の孫佺が兵に不案内なため敗戦を招いた。任地で没した。
- 裴懐古は清廉慎重な人柄で、幽州在任時、監察御史として監軍した韓琬は「士を御するに信あり、財に臨んで廉あり、国の名将」と評した。