新唐書卷一百九十七 列傳第一百二十二 陳君賓

陳君賓

  • 陳君賓は陳の鄱陽王陳伯山の子。隋で襄国通守となり、高祖の武徳初、郡を挙げて帰順し東陽郡公に封じられ邢州刺史となった。貞観初、鄧州に移った。喪乱の後、州民は流離していたが陳君賓の慰撫で一月足らずのうちに戻り本業を再開した。翌年四方が霜害に見舞われる中、陳君賓の統治する地だけが豊作で倉庫が満ち、蒲・虞二州の民が食を求めて集まった。太宗は「関内六州が凶作で民を分散させて食を求めさせたが、あなたと百姓が朕の心を理解し互いに助け合い、余った食糧を旅人に施したと聞く。水旱は常のこと、互いに助け合い礼譲を興せば天下の人は皆兄弟となり澆薄の風も変わる、朕に何の憂いがあろう。すでに刺史以下の功を記録させ、百姓の養った戸には今年の調物を免じた」と労った。この年、太府少卿に入り少府少監に転じたが事に連座して免官、のち虔州刺史として復帰し没した。