張允濟
- 張允済は青州北海の人。隋で武陽令となり愛民を旨とした。元武県の民が牸牛を婦の実家に預けたところ十余頭の子牛が生まれ、返却を求めても実家が牛を渡さぬ訴えを、県令は裁けず張允済の元へ来た。張允済は密かに訴人を盗人に見せかけて婦の実家に連れて行き「盗牛の犯人を捕らえた」と告げると、家は「これは婿の家の牛だ」と自ら白状し、返却させた。道端で葱を守る老婆には「盗まれたら令に告げよ」と教え、実際に盗人を捕らえた。落とし物を拾った旅人の逸話も伝わる。張允済の治績は評判となり高陽郡丞に進み、太守が欠員となると郡を統べ、賊帥王須抜が郡を攻めた際、糧が尽きても叛く者はなかった。貞観初、刑部侍郎・武城県男に累進し幽州刺史で没した。
附 李桐客
- 李桐客は隋で門下録事を務めた。煬帝が江都から丹陽への遷都を議した際、多くの臣が阿諛する中、李桐客は「呉会は狭く低湿で万乗・三軍を養えず、民の力も尽きる、遷都は社稷の福ではない」と諫言し危うく罪に問われかけた。宇文化及に脅されて黎陽まで随行し、竇建徳に降ることにもなったが、竇建徳平定後は秦王府法曹参軍となり、貞観初、通・巴二州刺史として清廉な治績を挙げ「慈父」と慕われた。冀州衡水の人。