新唐書卷一百九十六 列傳第一百二十一 張志和

張志和

  • 張志和――底本のこの人物は、字・出身地の記載を欠く(□欠字)。もとの名は亀齢といったと伝わる。父の張游朝は経書に通じ、多くの著述でその説を助けた。母は楓が腹上に生える夢を見て志和を産んだという。十六歳で明経に挙げられ策を献じて特に賞され、翰林待詔を命じられ左金吾衛録事参軍を授かり、この功により「志和」の名を賜った。のち事件に連座して尉に左遷されたが赦されて復し、両親の喪の後は仕官せず江湖に隠れ「煙波釣徒」と自称した。号にちなむ著作もあり、韋詣という人物がその伝を撰した。また十五篇の書を著し、その卦は三百六十五を数えたという。
  • 兄は隠遁したまま戻らぬことを恐れ東郭に室を築き生草で葺かせたが、張志和は釣りに餌を付けず「志は魚にない」と語った。県令が渠の浚渫を命じても不平を示さなかった。大布で裘を作らせた嫂の労に、暑くとも脱がず着続けたという。
  • 観察使陳少游が訪ねて終日引き留め、その居に額を掲げさせた。門が狭いため隣地を買って広げさせ、水路には橋がなかったため陳少游が架けさせた。帝はかつて奴婢一組を賜い夫婦に見立てて名を与えたという。
  • 「誰が往来するのか」と問われると「太虚を室とし明月を燭とし、四海の諸公と共にあって別れたことはない」と答えるなど機知に富んだ人物であった。ある刺史が朽ちた舟の修理を勧めると「浮家泛宅として往来したい」と答えたという。
  • 山水画に優れ、酔えば鼓を打ち笛を吹き、筆を舐めてはたちまち描き上げた。「隠れて名あり、顕れて事なし、窮まらず達せず」の生き方を「□に比す」と評された(底本欠字によりこの喩えの人物名は不詳)。
  • 脚注: この段は底本において本人の字・出身地・末尾の比喩対象などの固有名詞が欠落しており、推定で補わずに空白のまま訳出した。