新唐書卷一百九十六 列傳第一百二十一 呉筠

呉筠

  • 呉筠は字を貞節といい、華州華陰の人。経義に通じ文辞に優れ進士には及第しなかった。性は高潔で当世に流されるのを嫌い南陽の倚帝山に隠棲した。
  • 天宝初、京師に召され道士籍を求め嵩山の潘師正に師事しその術を究めた。天台山を巡り滄海を眺め、名士と交わり文辞は京師に伝わった。玄宗は使者を送って大同殿で引見し喜び、翰林待詔として《玄綱》三篇を献じさせた。道を問われ「道に深いのは《老子》五千文のみで、他は紙の無駄」と答え、神仙の煉丹法を問われると「これは在野の者の事、人主の関心事ではない」と答えた。呉筠の説はいずれも名教世務に基づき微言で天子を諷諭し、天子は重んじた。沙門の徒はその寵遇を妬み、高力士も浮屠を奉じていたため二人して呉筠を讒言、呉筠も天下が乱れると悟り嵩山への帰還を願い、道館を建てさせた。安禄山が挙兵する頃には茅山へ移り、両京陥落後は会稽の剡中へ入った。大暦十三(778)年に没し、弟子は私に「宗玄先生」と諡した。
  • 高力士に憎まれ疎まれたため、その文章は釈氏(仏教)を深く批判するものが多かった。親交のあった孔巣父・李白とは詩才もほぼ甲乙つけがたいと評された。