新唐書卷一百七十九 列傳第一百四 羅立言

経歴

  • 羅立言は宣州の人。貞元末年、進士に及第し、魏博の田弘正が佐官に表挙した。陽武令に改められ、治績が優れていたことから河陰県に遷った。立言は城郭の建設を始めた際、対象地に富豪・大商人の所有地が多かったため、自ら建てるよう令を出し、吏に広狭を記録させ、衆に「約束通りにできぬ者は、私が代わりに完成させる」と布告した。民は彼の厳しさを恐れ、数十日で完成した。田を持たぬ民は徭役に関わることがなかった。汴水の流れを堰き止め、盗賊は姿を消した。河南尹の丁公著がその状を上奏し、朝散大夫を加えられた。しかし部下には傲慢で上には尊大で、弓矢を携え道を先払いさせ、賓客を招いて優人を並べ大官のような宴を開いたため、人々は皆彼を嫌ったが、これにより昇進が遅れたにもかかわらず、その放縦ぶりは衰えなかった。
  • 度支河陰留後に改められたが、平糴の実務に不正があったとして一万九千緡を没収されたが、塩鉄使はその才を惜しんで兼務の削減だけで済ませた。廬州刺史から召されて司農少卿となり、財の面で鄭注に仕え、李訓とも親しかった。訓は京兆に吏卒が多いことから彼を少尹に抜擢し府事を知らしめ、その謀に加担させた。