新唐書卷一百七十七 列傳第一百二 李虞仲

謚法の建言と治績

  • 李虞仲、字は見之。父の李端は「文芸伝」に付見する。虞仲は進士・宏辞に及第し、太常博士に累遷した。
  • 建言して「謚は徳を表し悪を懲らすもので、『春秋』の褒貶の法である。茅土(封爵)・禄・辱・流放は皆一時のことで、百代に明示するものではない。しかし後世が人の行いを知るのは謚を見るのみである。古は葬るに際して謚を請うたが、今は近くて二三年、遠くては数十年後にようやく謚を請う。人が没して久しく、風績は薄れ、伝聞を採るので信を置けず、誄状はあっても言葉が事実から浮いている。私は謚を得る者は皆、葬る一月前に考功が太常に刺を送り議を定めるべきで、請わない者や期を過ぎて請う者は御史の弾劾に任せるべきと請う。京師に居る者は半年を過ぎず、外に居る者は一年を限度とする。もし善悪が著しいのに請わない場合は、考功にその行いを調べて謚を与えることを許す。節行が卓越していれば、無官の者や官が低い者でも、所在の官がこれを聞くべきである」と述べ、詔により許可された。
  • 宝暦初年、兵部郎中知制誥として、中書舎人に進み、華州刺史として出て、吏部侍郎を歴任した。簡素で欲少なく、当時の人望を集めた。六十五歳で没し、吏部尚書を追贈された。