新唐書卷一百七十一 列傳第九十六 石雄

石雄

  • 徐州の人、家系は不明。牙校として果敢で軍中に威を示した。王智興の李同捷討伐で先陣を務めるが、徐軍が智興の苛政を嫌い雄を擁立しようとした嫌疑をかけられ、智興に妬まれた。文宗はその才を惜しみ死刑を免じ白州へ流し、陳州長史とした。党項の河西侵攻対応で振武の劉沔軍に功を立てるも智興を憚った帝の下では長く抜擢されなかった。
  • 会昌初、回鶻の連年の雲・朔侵攻に対し天德防禦副使・朔州刺史として劉沔の雲州防衛に加わった。沔との謀議で「公主奪還」を掲げ夜襲を敢行、烏介可汗の陣営を急襲し単騎逃走させ公主を救出した。豐州防禦使。
  • 李彦佐の劉稹討伐が停滞する中、晉絳行営諸軍副使として自ら出撃し賊5塁を撃破、王宰・劉沔らが様子見する中で戦果を上げ、財貨を賜っても兵に分配し「今の将で義勇において雄に及ぶ者は少ない」と武宗に称賛された。行営節度使に昇進し河中に転じ、劉稹配下郭誼の投降を主導した。
  • 宣宗即位で鳳翔節度に転じたが、王智興の子王宰との旧怨や李徳裕失脚の影響で神武統軍に降格され、失意のうちに没した。

史論

  • 世は李愬が孤軍で蔡州に入り呉元濟を捕縛した奇功を称えるが、李光顏の淮西平定での貢献の大きさは見落とされがちである。当時、賊は日に日に追い詰められ精鋭をことごとく光顏に向けたため、(愬らは)他方面の防備が手薄な隙をついて奇襲を成功させ得た。光顏の勝利なくして、あの奇功もあり得なかったであろう。