新唐書卷一百七十一 列傳第九十六 劉沔
劉沔
- 字は子汪、徐州彭城の人。父廷珍は徳宗の奉天警護で戦功を立て左驍衛大将軍・東陽郡王。幼くして孤児となり振武の範希朝に見出された(「後日必ずわが座に着く」と評された)。希朝没後、神策将に。太和末、大将軍を経て涇原節度使、振武節度使。開成3年(838年)、突厥の営田劫掠を吐渾・契丹・沙陀連合軍1万で撃破し、都護府に西北4塁を築いた。
- 武宗即位で検校尚書左僕射。回鶻の天德侵攻に対処、会昌2年(842年)太原・振武への侵攻にも対応、太和公主救出の功もあり河東節度・招撫回鶻使として雁門関に進駐、雲州の虜を撃破した。
- 劉稹討伐では宰相李徳裕の指揮で河陽に転じ、稹平定後、検校司徒、忠武節度使。病により太子少保、太子太傅致仕。享年65で没し、贈司徒。