新唐書卷一百七十一 列傳第九十六 楊元卿

楊元卿

  • 出自不詳。孤児で慷慨の士。呉少誠の蔡州で褐衣のまま面会し登用され、少陽(少誠の後継)にも仕えた。宰相李吉甫に評価され、少陽への忠義を説くも賊党に讒言され判官蘇肇の弁護で難を逃れた。密かに朝廷への内通を続けた。
  • 呉元濟の襲位後、財政を弱体化させる計略として「将士への厚遇を勧め、諸鎮への懐柔を進言、自ら表を持って天子に見えさせる」と偽って信用を得て脱出、賊の内実を朝廷に密告した。発覚後、元濟は元卿の妻子を殺害、密告に関与した肇も害された。
  • 嶽王府司馬、李道古とともに蔡州の刺史候補となるが、財政要求への不満や裴度の慎重論で実現せず、光禄少卿に転任。蔡平定後、左金吾衛将軍。淮西の財宝探索を進言したが憲宗に「賊平定は民のため、財宝目当てではない」と却下された。汾州刺史を経て金吾に復帰。
  • 長慶初、鎮・魏の帥交代を巡る成敗を進言し評価され、涇原渭節度使。屯田5千頃を開墾し辺境を安定させた。河陽節度使、魏博の乱への即応、宣武軍を経て太和7年(833年)病により帰洛、太子太保、贈司徒。性は佞巧で聚斂を重ね権貴と結んだが度々要職を歴任した。

楊延宗――元卿の子

  • 開成中、磁州刺史として河陽兵と結び自立を企てたが失敗、元卿の旧功で宗族は救われ、延宗のみ京兆府で杖死させられた。