新唐書卷一百七十 列傳第九十五 郝玭

郝玭

  • 出自不詳。貞元中、臨涇鎮将として節度使馬璘に城塞化を進言したが、部下の讒言(「安定すれば恩寵が薄れる」)で退けられた。
  • 段佑の代で再度進言し「祿山の乱以来西陲を失い辺人は疲弊している、臨涇に城を築けば虜の勢いを削げる」と説き採用され、行原州の刺史として戍った。以後虜は臨涇を避けるようになった。
  • 辺境30年、糧を敵から奪って戦い、捕虜の屍を国境に晒して虜を畏怖させた(子供を泣き止ませるのに名を使われるほど)。検校左散騎常侍・涇原行営節度使、保定郡王。吐蕃の贊普が「玭を捕らえた者に金の像を与える」と布告したほど恐れられた。朝廷は名将を失うことを恐れ慶州刺史に転任させた後没した。

段佑――郝玭の推薦者

  • 郭子儀の牙将から従軍で功を立てた。貞元末、涇原節度使として虜に畏れられた。右神策大将軍で終わった。

史敬奉

  • 靈州の人。朔方軍の牙将。元和中、吐蕃の侵入に際し節度使杜叔良に3千の兵と1月分の糧を求め、間道から虜の背後を突いて瓠蘆河で大勝、馬牛雑畜万を得た。実封50戸を賜った。容貌は冴えなかったが騎射の妙技で知られ、部曲200人を分散運用して各地で戦果を上げた。鳳翔将の野詩良輔・郝玭と並び辺境の名将として知られた。

野詩良輔

  • 後に隴州刺史。朝廷の吐蕃派遣使に対し虜が「唐の和議が本物なら、なぜ良輔を隴州刺史に任じられよう」と語ったという逸話が伝わる。