新唐書卷一百七十 列傳第九十五 劉昌裔

劉昌裔

  • 字は光後、太原陽曲の人。慎重な性格で若くして辺境将官への遊説に失敗し蜀に入った。楊惠琳の乱を説得で鎮め、その子子琳の下で瀘州刺史・州佐。曲環の陳許軍の判官として李納への檄文で徳宗に才を認められた。
  • 曲環没後、上官涚の危機(呉少誠の攻撃)に際し「7日間堅守すれば賊の士気は衰える」と籠城策を進言し撃退。飛棚での突撃戦術も用いた。安国寧の内応計画を策略で斬り、賊の投降兵1千人を巧みに始末して守りを固めた。涚死後、軍中の推挙で節度使代行、陳州刺史。
  • 韓全義の敗走を寛大に迎え入れ蔡州の少誠にも境界の秩序を守らせるなど信頼を築いた。彭城郡公。元和8年(813年)の大水害後、京師に召還されるが、憲宗が昌裔の自立傾向を警戒し韓臯に交代させると、昌裔は病を称して赴任せず。享年で没し、贈潞州大都督、諡は威。