程异
- 字は師舉、京兆長安の人。孝行で郷里に聞こえた。明経に及第し鄭尉。吏務に精通し王叔文に引き立てられ監察御史から塩鉄揚子院留後。叔文失脚後、郴州司馬に貶された。
- 李巽の推薦で侍御史・揚子留後に復帰、淮南等道両税使。実務能力に優れ税制の弊害を改めた。衛尉卿・鹽鐵転運副使を経て蔡州討伐の財政調達を担い、御史大夫兼鹽鐵使。
- 元和13年(818年)、工部侍郎・同中書門下平章事、鹽鐵使を兼務。銭穀の実務から宰相に昇ったことを自ら省み、しばらく実権行使を控えた。西北軍政の巡辺使を自ら志願するが実現前に没し、贈尚書左僕射、諡は恭。清廉で私財を残さなかったことが世に重んじられた。
史論
- 王叔文は狡猾な小人物にすぎず、天下の権柄を窃取したのは、陽虎が大弓を盗んだ故事と同じく『春秋』に「盗」と記されるべき行いである。柳宗元らはこれに屈従し一時の僥倖を求め、帝の病と昏迷に付け込んで太子の英明を抑え権力を私しようとした。それゆえ賢者に憎まれ不肖の輩にも妬まれ、一度倒れて再起しなかったのも当然である。彼らがもし邪な人物に頼らず自ら才を磨いていれば、名卿・大夫として名を残し得ただろうに、惜しいことである。