新唐書卷一百六十三 列傳第八十八 崔邠

崔邠

  • 崔邠、字は処仁。貝州武城の人。父崔倕は3代同居で治家の模範とされた。裴延齡の奸を上疏で論じ鯁亮の名を得た。吏部侍郎として憲宗・裴垍に宰相候補とされたが病で拝命せず、太常卿として大閲の礼儀を厳格に執り行い、60歳で没した。吏部尚書・諡文簡を贈られた。

弟 郾

  • 崔郾、字は広略。姿容秀麗で威厳があった。吏部員外郎として厳正な人事を行い、諫議大夫として穆宗の遊興を諫めた。翰林侍講学士として敬宗の学問怠慢を諫言し、『六経』要言10篇を編んだ。
  • 虢州観察使として吏の私的負担を府の経費で肩代わりし、太倉輸送の民の負担を軽減する改革を行った。鄂嶽観察使として賊への軍備を整え捕縛に成功した。統治は地域の風土に応じて寛厳を使い分け、「陝土は瘠せて民は労するゆえ寛に、鄂土は肥沃で民は剽悍ゆえ威をもって治めた」と説明した。5子のうち瑤・瑾も観察使に至った。

弟 鄯・鄲

  • 崔鄯は左金吾衛大将軍として急逝、李訓の乱の直前で難を免れたため「崔氏の積善の報」と評された。崔鄲は同中書門下平章事、剣南西川節度使、淮南節度使を歴任。崔氏一族は4代同爨で6人が三品に至り、宣宗は「一門の孝友、士族の模範」と称え「徳星堂」の額を贈った。