新唐書卷一百六十三 列傳第八十八 柳公綽

柳公綽

  • 柳公綽、字は寛。京兆華原の人。厳格な起居礼法を守り、渭南尉時代は豊作の年でも一汁一菜を通した。開州刺史として夷落からの寇に対し「兵力不足でも法を曲げるな」と首謀者を誅した。
  • 『太醫箴』を憲宗に献じ遊興を諫めた。湖南・鄂嶽観察使として、呉元済討伐に自ら出陣を志願、安州で李聴の軍を統率下に置き軍功を挙げた。京兆尹として神策軍騎士の専横を正し、幽・鎮出兵時の駅伝の乱れを制度化して是正した。山南東道節度使として賄賂と法を乱す吏を区別して裁いた逸話が残る。
  • 邠寧節度使として辺境防備の統一指揮を実現。太和4年(830年)河東節度使として倹約を旨とし、北方の沙陀部を懐柔して国境防衛の要とした。68歳で没し、太子太保・諡元を贈られた。継母への孝行や、公正な人柄で子孫の繁栄を予言した逸話が伝わる。

子 仲郢

  • 柳仲郢、字は諭蒙。母は韋臯の娘。牛僧孺に父の風格を評された。禁軍の専横に屈せず賊を処断させた強直さで知られた。吏部郎中として冗官1250員を削減。京兆尹として不正な吏を厳しく取り締まり、廃仏で得た銅像を鋳銭に転用する事業も担当した。
  • 鄭州・河南尹・剣南東川節度使を歴任し、大吏の不正を粛清。進士選考の公正を貫き、山南西道節度使として不正な令を杖殺の責で流罪にした。李德裕の死後は困窮したその甥を推薦するなど恩義を重んじた。父子で九鎮、五度の京兆尹を歴任しながら瑞祥を報告せず仏教にも溺れなかった清廉さで知られる。蔵書は正・副・学習用の三部を備え、『六経』を自ら書写する篤学ぶりであった。

仲郢子 璞・珪・璧・玭

  • 柳璞、字は韜玉。仕官せず『春秋三氏異同義』『天祚長暦』を著した。柳珪、字は交玄。杜牧・李商隱に評価された文才で知られたが「父に仕えられない」との批判で諫官職を追われた。柳璧、字は賓玉。翰林学士から諫議大夫に至った。柳玭は父祖の名声を継ぎ、御史大夫として直清の評を得たが讒言で瀘州刺史に貶されて没した。

玭の家訓

  • 柳玭は家訓を著し、「門地の高い者ほど、先訓に背けば人と異なる、驕らず窮せず、直にして禍を招かず廉にして名を求めず」との教えを説いた。崔琯・裴寛の家門の逸話や、永寧王涯の贅沢を戒めた逸話、舒元輿の恩讐が禍に転じた話などを引き、「成立は難く、覆墜は易い」と結んだ。

弟 公權

  • 柳公權、字は誠懸。公綽の弟。穆宗に「心正しければ筆正し」と筆諫を献じた逸話で知られる。中書舎人・翰林書詔学士として文宗の信任を得た。郭文の軍功と献女疑惑を率直に指摘するなど、忠義の直言を続けた。武宗代は一時左遷されたが宣宗代に太子少師まで復した。88歳で没し、太子太師を贈られた。書は結体が力強く艶やかで、鐘繇・王羲之に並ぶと称された。

諸父 子華

  • 柳子華は公綽の伯父筋。華清宮の修築で盗まれた資材を厳格に取り締まり、宰相元載の別荘管理人の横暴を杖殺で断じた剛直さで知られた。