新唐書卷一百六十三 列傳第八十八 穆寧

穆寧

  • 穆寧、懷州河内の人。父穆元休は儒者として知られた。安禄山の乱で反徒を斬り各州県に檄を飛ばして抗戦を促した。史思明の誘降にも屈せず使者を斬った。顔真卿の平原太守就任時に反乱を予見して連携し、真卿が祿山に抗した後は河北採訪支使として真卿を助けたが、真卿が固守方針を採らなかったため密かに肅宗のもとへ逃れ、真卿の失策を証言した。
  • 塩鉄転運の職務で李光弼の強引な糧の徴発を拒み、「主管の職を檄一つで奪えるのか」と対峙して光弼を納得させた。淮西李忠臣の商賈への圧迫にも対抗し漕運を維持した。天宝時代の戸籍を根拠にした讒言で泉州司戸参軍に貶されたが、子の穆賛の訴えで冤罪が晴れた。太子右諭德となったが権貴に阿らぬ性格から冷遇され、辞職と復帰を繰り返した。徳宗の奉天避難に馳せ参じ、京師還幸後は自ら退いた。
  • 家では厳格で、「君子の親への孝は志を養うことが第一」と子らを戒めた。4子(贊・質・員・賞)はいずれも官途で名を挙げ、韓休家と並んで家法の模範とされた。

子 贊・質・員

  • 穆贊、字は相明。陝虢観察使盧巌の妻子相続争いを公正に裁いたが、中丞盧佋と宰相竇参の讒言で投獄され、弟の穆賞が冤罪を訴えて無実が証明されたが郴州刺史に左遷された。竇参失脚後に御史中丞に復し、裴延齡の不正な吏の弁護を拒み再び左遷されたが宣歙観察使で没した。
  • 穆質は賢良方正で頻繁に昇進し給事中となった。塩鉄・転運諸院の恣意的な囚人処遇を正し、吐突承璀の将軍就任に反対して太子左庶子に転じられた。楊憑との縁座で開州刺史に貶され没した。
  • 穆員、字は与直。文才に優れたが早世した。兄弟は皆和やかな人柄で「贊は酪、質は酥、員は醍醐、賞は乳腐」と美食になぞらえて評された。