新唐書卷一百五十八 列傳第八十三 嚴震
山南西道での治績と徳宗擁護
- 嚴震、字は遐聞。梓州鹽亭の人。もと農家の出で財を以て里閭に仕えた。至徳・乾元中の出資により州長史となり、嚴武・李叔明に用いられて渝州・鳳州刺史を歴任。鳳州を14年治め清廉で知られ、山南西道節度使に進んだ。
- 硃泚の乱に際し、腹心を送って懐柔を図る硃泚の使者を斬って忠節を示した。李懐光が硃泚と通じ奉天が危機に陥った際、部将馬勛を派遣して裏切りを企てた大将張用誠を捕らえ処刑、軍を安定させた。この功で検校戸部尚書・馮翊郡王、実封200戸を得た。
- 帝が成都への遷幸を検討した際、「山南は畿輔に近く、李晟の収復戦を後援すべき」と説き、遷幸を思いとどまらせた。梁・漢の貧しい土地事情の中で民を煩わせずに行在の供給を支えた。同中書門下平章事に進み、貞元15年(799年)76歳で没した。太保・諡忠穆を贈られた。
震從孫 譔
- 嚴譔は宰相楊収と親しく、江西節度使(鎮南軍)となったが、南蛮討伐での不正な募兵・収賄の疑いで楊収失脚後に賜死となった。