新唐書卷一百五十八 列傳第八十三 張建封

出自と初期の武功

  • 張建封、字は本立。鄧州南陽の人。安禄山の乱で祖父の玠が魯郡太守韓択木を助けて逆賊を討った家系。建封自身は李光弼配下として蘇・常間の反乱鎮圧に功を挙げ、宦官への説得で戦わずして数千人を降した。馬燧に用いられ李霊耀討伐に従軍。楊炎の登用を盧杞が阻んだため岳州刺史に出された。

淮南・徐州の経略

  • 李希烈の跋扈に対し盧杞の推薦で壽州刺史となり、希烈の偽詔を持ち込んだ使者を斬って抵抗し、淮南節度使陳少遊の希烈への内通を弾劾した。杜少誠の淮南侵攻も食い止めた。
  • 貞元4年(788年)、李泌の献策により徐泗濠節度使となり、江淮の漕運の要衝である徐州を固めた。徳宗に厚遇され、朝見の際は『朝天行』を賦して献じた。宦官による宮市の弊害を諫め、河東節度使李説・華州刺史盧征の不行き届きを直言するなど政治にも積極的に関与した。曲江の宴で宰相と同じ席次を賜り、帰任時には帝自ら詩を賦して餞別するという異例の厚遇を受けた。16年(800年)、66歳で没し、司徒を贈られた。徐州を10年治め、許孟容・韓愈らを幕僚に登用した。

建封子 愔

  • 張愔は虢州参軍事から出発。父の死後、府佐鄭通誠が浙西の戍兵を頼って軍を掌握しようとして軍中の反乱を招き、愔が留後に推された。杜佑の討伐と交渉の末、徐州刺史・留後に任じられ、後に武寧軍節度使に進んだ。元和初年、病により工部尚書に転じ、まもなく没した。7年間徐州を治め治績を称えられた。