新唐書卷一百四十九 列傳第七十四 王紹

生涯

  • 王紹は本名を純といい、憲宗の諱を避けて改名。太原から京兆万年に移った。父王端は進士に及第し柳芳・陸拠・殷寅と交友、工部員外郎で終わった。
  • 王紹は顔真卿に見出され「德素」と字され武康尉。包佶の塩鉄使幕府で判官。李希烈の淮南侵攻による輸送路遮断時、徳宗の西狩を追い間道で軽貨を届け「五十万に及ぶ貢物がまもなく到着する」と伝え軍を安堵させた。倉部員外郎から戸部・兵部郎中を経て戸部侍郎・判度支、尚書。竇參・陸贄の失脚後も謹密な人柄で徳宗の厚い信頼を得て八年にわたり財政を掌ったが、他言することがなかった。
  • 順宗即位後、王叔文にその権限を奪われ兵部尚書・東都留守。元和初、検校尚書右僕射・武寧軍節度使として濠・泗二州も管轄、軍紀の乱れを鎮め、裨将の反乱謀議を計略で防いだ。兵部尚書・判戸部を再任、72歳で死去、右僕射追贈、諡は敬。