新唐書卷一百四十八 列傳第七十三 王承元
生涯
- 王承元は王承宗の弟。深謀があり、16歳で兄に李師道討伐を勧めたが用いられず、それでも軍中で一目置かれた。王承宗死去に際し、大将たちが他姓を立てようとする中、参謀崔燧らの推挙で祖母涼国夫人李氏の命により王承元が継承者に指名された。当初固辞したが、監軍の承認、諸将の説得を経て受け入れ、「留後」と称することを避け、密かに朝廷に節度使任命を請う謙抑な姿勢を取った。
- 河朔の慣習に従うよう周囲から圧力を受けたが拒み、宣慰使柏耆の派遣に対しても諸将を説得し、「李師道の先例のような反乱には同調しない」と述べて自ら財を分与し反対者を処断して軍を安定させた。義成軍節度使、鄜坊丹延節度使を経て鳳翔節度使。吐蕃の侵入に備え要塞(臨汧城)を築いて防備を固めた。
- 太和初、祖母の喪に際し王武俊の功績への言及と厚い恩恤の詔があった。太和5年(831年)、平盧・淄青節度に転じ、塩の禁令を有司に返還する改革を行い、諸鎮に法の遵守が広がった。33歳で死去、司徒追贈。