新唐書卷一百四十三 列傳第六十八 韋倫
生涯
- 韋倫は京兆の出。父韋光乗は朔方節度使。蔭により藍田尉、楊国忠の下で鋳銭内作使判官として合理的な募兵制で費用を削減。玄宗の宮室造営の不正を摘発し経費を半減させた。玄宗の蜀行幸に従い劇南節度行軍司馬として清廉な政治を行ったが宦官に讒言され衡州司戸参軍に左遷。第五琦の推挙で商州刺史・荊襄道租庸使、康楚元の乱を鎮圧し租庸二百万緡を収めた。
- 乾元中、山南東道節度使を拝命したが李輔国に阻まれ秦州刺史に左遷、吐蕃・党項との戦いに敗れ巴州長史・務川尉と流された。代宗代、忠・台・饒三州刺史を歴任するも宦官呂太一の反乱の反間として信州司馬に左遷、十年間豫章で不遇をかこった。
- 徳宗即位後、太常少卿・和吐蕃使として吐蕃との関係改善に成功。太常卿兼御史大夫。宰相盧杞に疎まれ太子少保。奉天出奔に従い、盧杞失脚時は「宰相の失態が天下をこの様にした」と朝堂で涙した。盧杞の再登用に苦諫して阻止。太子少師・郢国公で致仕。李楚琳・李忠誠への官職授与に反対、義倉制度、吐蕃への警戒を進言。83歳で死去、揚州都督追贈、諡は肅。