新唐書卷一百四十三 列傳第六十八 薛玨

生涯

  • 薛玨は字を温如といい、河中宝鼎の人。蔭により懿德太子廟令、乾陵台令を歴任、清廉で知られた。楚州刺史として営田制度の腐敗を一掃し租税収入を増やしたが、観察使に讒言され峡州刺史に左遷。建中初、李承・趙賛・盧翰の推薦で中散大夫。汴宋行軍司馬、李希烈逃亡後の汴州刺史、河南尹、司農卿を歴任。刺史・県令の選抜において「文才より愛民の心を求めよ」と提言。
  • 京兆尹として物資調達を巡り万年令韋彤と共に徳宗の怒りを買い俸給を削られたが、これを機に延英殿での「巡対」制度が確立した。厳格な法治で知られたが経術・大局観に欠けた。竇参に連座して太子賓客、嶺南観察使を経て74歳で死去、工部尚書追贈。

薛存慶(子)――生涯

  • 子の薛存慶は字を嗣德といい、容姿魁偉。進士に及第、御史・尚書郎を歴任、給事中として韋弘景と共に詔書の封駁で直言を評価された。劉総の幽州帰順に際し穆宗に「薛存慶を用いれば意が伝わる」と評され派遣されたが、鎮州で背に腫瘍を発し没した。吏部侍郎追贈。