新唐書卷一百四十三 列傳第六十八 元結

生涯

  • 元結は後魏常山王元遵の十五代孫。曾祖元仁基は太宗の遼東遠征に従軍。祖父元亨は儒学を志し霍王元軌に招かれた。父元延祖は仕官せず、40歳を過ぎて舂陵丞に任じられるもすぐ辞し「人生の衣食は飢えを凌げばよく、それ以上を求めない」と語った。安禄山の乱に際し元結を戒めて名節を励むよう諭し、76歳で没し門人は私諡「太先生」を贈った。
  • 元結は17歳で学問に志し元德秀に師事。天宝12載(753年)進士に及第。天下大乱の中、国子司業蘇源明の推挙で粛宗に召され、『時議』三篇を上奏した。その内容は、霊武・鳳翔時代の危機感と勤勉さこそが復興の要因であり、太平に慣れた現在の朝廷を戒めるもの(第一篇)、士人の忠義が実利によって損なわれつつある現状への警鐘(第二篇)、詔令の実効性を厳格にすべしとの提言(第三篇)であった。帝はこれを喜び右金吾兵曹参軍・監察御史に抜擢、山南西道節度参謀として唐・鄧・汝・蔡で義士を募り劇賊五千を降した。
  • 史思明の乱に際し「賊の鋭鋒とは正面から争わず謀で制すべき」と献策し、泌陽の守りで十五城を保全した。監察御史裏行に昇進、荊南節度使呂諲・山南東道節度使来瑱の幕府で活躍。軍中の父母を持つ兵士への配慮を説き、瑱に採用された。瑱の誅殺後、代宗即位で辞して母に仕えるため樊上に隠居、著作郎として『自釈』を著し「漫叟」と号した。
  • 道州刺史として、西原蛮の掠奪で戸数が激減した状況を憂い、租税・雑物の免除を上奏し許可された。翌年も租庸使の追加徴収に反対し認められた。民のため住居を建て徭役を免除し、流亡民一万余が帰還した。容管経略使に進み、蛮族の懐柔で八州を平定した。母の喪に人々が留任を願い出て左金吾衛将軍を加えられた。50歳で死去、礼部侍郎追贈。