新唐書卷一百四十一 列傳第六十六 韓全義

生涯

  • 韓全義は家系が貧しく先祖不詳。宦官竇文場に巧言でとりいり長武城使、夏綏銀宥節度使に抜擢された。無能で貪欲、軍紀を乱し、部下に軽んじられた。夏州への赴任を渋る軍の反乱で親将らが殺害されたが、虞候高崇文が鎮圧し赴任を果たした。
  • 徳宗が呉少誠討伐のため十七鎮の兵を動員した際、竇文場の後押しで淮西行営招討使となったが、方略に乏しく宦官の意見で戦況を左右され、広利城の戦いで大敗、五楼・陳州へ退いた。宦官は敗北を隠蔽し帝に知らせなかった。呉少誠が謝罪の書を送ると宰相賈耽の進言で受け入れられた。
  • 帰還後も天子に謁見せず夏州に戻った。憲宗の即位後、罷免を恐れ入朝を願うも用いられず、太子少保で致仕。娘楽人八人を献上したが帝は「儉約を旨とするのに何の用があるか」と拒否した。