新唐書卷一百四十 列傳第六十五 崔圓

崔圓

  • 崔圓は字を有裕といい、貝州武城の人。後魏の尚書左僕射崔亮の八世孫にあたる。幼くして父を失い貧しかったが、志は高く兵学を好んだ。
  • 開元中、遺逸挙に応じて鈐謀対策甲科に及第し、京兆府参軍を経て京兆尹蕭炅に推挙され会昌丞に昇った。楊国忠が剣南節度使を遥領した際、左司馬・知留後に抜擢された。
  • 玄宗の蜀行幸に備え、城郭を整え倉庫を充実させた。玄宗が河池に至った際「蜀の地は肥沃で穀物が豊かで、供給しやすい」と上奏し、玄宗は書を見て涙し「世が乱れてはじめて忠臣を知る」と述べた。即日、中書侍郎・同中書門下平章事に任じ、剣南節度使を兼ねさせた。
  • 至徳2載(757年)、中書令に遷り趙国公に封じられ、実封戸500を与えられた。乾元元年(758年)、太子少師に左遷され東都留守となる。相州の敗戦後、王師の潰走に伴い東都を放棄して襄陽に奔り、爵位・官階を削られた。のち済王傅に召し戻され、李光弼の推挙で懐州刺史・汾州刺史を歴任、治績で知られた。淮南節度使として6年在鎮し、尚書右僕射・左僕射などを歴任。大暦年間(766〜779年)、64歳で没し、太子太師を追贈され、諡を昭襄といった。