新唐書卷一百三十九 列傳第六十四 張鎬
中興を支えた慧眼の宰相
- 張鎬、字は従周、博州の人。呉兢に師事し、酒と琴を愛する飄逸な性格ながら王覇の大略を志した。楊国忠の推挙で左拾遺、玄宗の蜀行幸に徒歩で扈従、粛宗の下で諫議大夫、中書侍郎同中書門下平章事。
- 禁中の仏事の乱費を「無為を心とすべし」と諫止。河南節度使兼淮南諸軍事都統として、宋州の張巡救援の遅延(濠州刺史閭丘暁の逗留)を厳罰(杖殺)に処した。史思明の偽降を見抜き警戒を進言したが容れられず、以後思明・許叔冀の裏切りにより先見の明が証明された。
- 宦官への根回しを行わなかったため讒言に遭い荊州大都督府長史に左遷。代宗初、洪州観察使として袁晁の乱・沈千載の乱を平定。江南西道観察使で没。
- 布衣から2年で宰相に至り、清廉で蓄財せず、士を厚遇し、簡重な議論を行う人柄で、地位にあった期間は短いものの天下に「旧徳」と推された。