新唐書卷一百三十四 列傳第五十九 韋堅
漕運改革の華麗な演出者
- 韋堅、字は子全、京兆万年の人。姉は恵宣太子妃、妹は皇太子妃という外戚。奉先・長安令として名を上げ、宇文融・楊慎矜父子の聚斂策を見て自ら江淮の租賦運搬を管理、陝郡太守・水陸運使に抜擢。
- 咸陽で渭水を堰き止め潤河を望春楼下に開削、諸郡の物産を積んだ船団を華麗に演出する祝賀行事(銅器・綾錦・玳瑁・沈香等の各郡名産を陳列)を催し玄宗を大いに喜ばせ、左散騎常侍・広運潭の名を賜った。江淮南租庸転運処置使・御史中丞を兼任、韋城県男。
- 李林甫の舅の娘婿だったが疎まれ刑部尚書に転じ実権を失う。皇甫惟明が林甫を批判し堅の才を称えたことから林甫に「外戚と辺将が結託し太子擁立を謀った」と誣告され、楊慎矜・楊国忠・王鉷・吉温らに獄を捏造され縉雲太守に左遷、弟らも連座して処刑・流罪となり、最終的に監察御史羅希奭により配所で殺された。
- 潭の開削で多くの民の墓を壊し公私を騒がせた過去も林甫の追及材料とされ、林甫の死後にようやく追及は止んだ。