契丹平定の名将
- 張守珪、陝州河北の人。北庭の防衛や輪台での戦功を経て建康軍使に累進。王君㚟の死後、瓜州刺史として虚勢の宴で虜を欺き城を守り抜いた(「敗残の兵で矢石を交えるより権謀で勝つべき」)。堰堤の修復では神仏の加護を得たとされる逸話も伝わる。
- 幽州長史・河北節度副大使として契丹・奚の反乱を鎮圧、可突于らの偽降を見破り誅殺、大量の降者を得た。輔国大将軍・右羽林大将軍。裨将の敗戦を隠蔽した罪が発覚し括州刺史に左遷、背中の腫瘍で没した。
張守珪の子・獻誠
- 天宝末、安禄山に降り偽官を受けたが、のち史思明に仕え、東都平定後に汴州刺史として降伏。剣南東川節度使として崔旰の反乱鎮圧に失敗、病により弟獻恭に地位を譲り没。
獻誠の従弟・獻恭
- 岷州で吐蕃を破る軍功。東都留守、検校吏部尚書。徳宗の盧杞左遷を巡り給事中袁高の主張を支持し帝に容れさせた。
獻恭の子・煦
- 夏州節度使。元和8年、振武軍の反乱を鎮圧し贈太子太保。
獻誠の従弟・獻甫
- 徳宗の奉天・梁州行幸に従い渾瑊の朱泚討伐に貢献。邠寧節度使として軍紀を整え、烽堡を築き鹽・夏二城を修築し吐蕃の侵入を防いだ。