新唐書卷一百三十 列傳第五十五 崔隱甫

厳正な御史台改革者

  • 崔隱甫、貝州武城の人、隋散騎侍郎崔儦の曾孫。浮屠恵範が太平公主を頼み民の子女を脅した罪を弾劾し逆に邛州司馬に左遷されたが、玄宗立後に汾州長史、洛陽令に。梨園弟子胡雛の罪を帝の情に流されず処罰した逸話が伝わる。
  • 御史大夫として、系統だった獄制度(監察御史以下の専断を改め上申制に)を確立し威名を上げた。外官の考課を一日で処理した敏腕ぶりも評される。張説を宇文融・李林甫と共に弾劾し罷免させたが、帝は朋党を嫌い隠甫も一時免官された。
  • 刑部尚書兼河南尹、東都留守を歴任、清河郡公。没、益州大都督・謚忠。帝が牛仙客との会見を勧めても終始応じず「材が中人に及ばぬ者と対面できぬ」と述べた剛直さで知られた。

史論(厳挺之・崔隱甫)

  • 賛にいう、厳挺之が宰相に会おうとせず、崔隱甫が詔に逆らって牛仙客に屈しなかったのは、まことに剛直の士というべきである。二人とも宰相になれなかったが、それぞれ志を貫いたのであり、管仲の「編棧の喩え」も曲直の別を捉えきれないと評される。