新唐書卷一百二十八 列傳第五十三 齊澣

剛直な諫言と地方治績

  • 齊澣、字は洗心、定州義豊の人。14歳で李嶠に才を認められる。中宗のため武氏抑制と太子東宮復帰を上言、武后にも評価された。聖歴初、進士及第、蒲州司法参軍として父子連坐の死刑を軽減させた。
  • 景雲初、監察御史として裴談の不敬を弾劾し左遷させた。開元初、給事中・中書舎人として「解事舎人」と称され、宋璟に房・杜との比較で「近郊戸300が困窮を訴えていた前と違い今は百戸に満たない」と答えた逸話が伝わる。
  • 秘書少監を経て汴州刺史として封禅巡幸の供応で称賛される。淮至徐城間の運河開削で漕運を改善。中書令張説に右丞に選ばれ、王毛仲の専横を密かに諫めたが、大理丞麻察に密告され高州良德丞に左遷。
  • のち索盧丞・郴州長史・潤州刺史等を歴任、伊婁埭の開削で漕運を改善。高力士に取り入り両道采訪使となるが行状が乱れ李林甫に廃され放帰田里。天宝初、太子少詹事、平陽太守として黄老の政を行い没、享年72。粛宗代に礼部尚書を追贈された。

麻察――公正だが險しい人物

  • 麻察、河東の人。魏元忠の子升が節湣太子の変で死節した際、升の妻の父鄭遠が賄賂で婚姻・任官を得たことを暴き、遠を禁錮とした。当時は公正と評されたが、のちに険しい人柄で斥けられた。

齊澣の孫・抗

  • 抗、字は遐挙。会稽に隠れた後、張鎰・韋皋らの幕僚として活躍。李楚琳の乱後に侍御史、戸部員外郎、水陸運副使として漕運に従事。諫議大夫、処州刺史、潭州観察使、河南尹、太常卿を経て中書侍郎同中書門下平章事。
  • 遠謀に乏しく末年は苛刻と評され、病により太子賓客で罷免、享年65、贈戸部尚書・謚成。吏部の考課覆核の廃止、礼部試の「別頭」試の廃止、州官員の削減など制度改革を進言した。