新唐書卷一百二十九 列傳第五十四 裴守真

礼学に通じた廉直の士

  • 裴守真、絳州稷山の人。北魏冀州刺史裴叔業の6世孫。父裴諲は隋末の淮安の乱で仁愛により賊に害されず郷里に護送された。
  • 守真は幼くして父を失い、寡姉を篤く養い、永禛初の関中大旱には自らの俸禄を姉と甥に与えた。太常博士として礼学に通じ、高宗の嵩山封禅における射牲儀礼を漢制と唐制の違いから慎重に論じ、『破陣』『慶善』二舞を天子が立って観る慣例にも異論を述べた(施行前に高宗崩御)。高宗の喪礼では韋叔夏・輔抱素らと故事を考証し礼を整えた。
  • 天授中、司府丞として冤罪を多く救ったが武后の意に沿わず汴州司馬に左遷。成州刺史・寧州刺史を歴任し慕われた。長安中に没、戸部尚書を贈られた。子は子余・耀卿・巨卿、曾孫は行立。

裴守真の子・子余

  • 継母への孝で知られ、明経科及第、鄠尉として李朝隱・程行諶と並び称された(「蘭菊異芬」の評)。左台監察御史として、司農卿趙履温が隋代の番戸子孫を奴婢に落とそうとするのを阻止。冀州刺史を経て岐王府長史で没、謚孝(程行諶は謚貞)、張説が「二謚は恥じることがない」と称賛した。

裴守真の曾孫・行立

  • 重然諾で兵学に通じ、母の喪に哀毀。河東令、蘄州刺史を経て安南経略使として環王国の反乱を鎮圧。部下の統制と信賞必罰で威声を高め、桂管観察使として黄家洞の反乱も平定。安南都護として功を焦り時に非難されたが、召還の途中で没、享年47、右散騎常侍を贈られた。