新唐書卷一百十六 列傳第四十一 陸元方

清慎な宰相

  • 蘇州呉の人。武后時、嶺外使者として海難を恐れず「私心なく受命した、神が我を害するはずがない」と渡航した逸話が伝わる。来俊臣に陥れられるが武后により罪を問われず、鸞台侍郎同鳳閣鸞台平章事。
  • 人材推薦において「敵味方を問わず挙げるべき者を挙げる」姿勢を貫き、崔玄暐を宰相の器と推挙した。政務について「大事は上奏するが、民間の細事はみだりに奏上しない」と武后に答え、逆鱗に触れて左遷されたこともある。
  • 臨終に上奏の草稿を焼き「陰徳は人に及ぼした、後に興る者があろう」と述べ、越州都督を贈られた。子に象先・景倩・景融。

元方子 象先

  • 象先は制科高第で出仕。太平公主の宰相推挙工作(崔湜経由)にも関わらず一線を引き、公主の廃立謀議に「功によって立てた者は罪によってのみ廃すべき」と反論、玄宗即位に伴い誅殺を免れた(「歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る」との玄宗評)。兗国公。
  • 睿宗の政変後、密告書を焼却する寛容さ、益州・蒲州刺史としての寛政(「政は治めるのみ、必ずしも刑で威を示す必要はない」)で知られ、太子少保・尚書左丞相・諡文貞を贈られた。

象先弟 景倩

  • 弟景倩は撫溝丞として「真に清廉」と評された監察御史。

象先弟 景融

  • (異母弟)景融は工部尚書・東京留守を歴任、兄象先が笞打たれる際に諫めて自らも杖を受けた友愛の逸話が伝わる。

景倩四世孫 希聲

  • 景倩の四世孫希声は経学に通じ、戸部侍郎同中書門下平章事に至るが、王仙芝の乱の予兆を見抜いた識見で知られた。

元方從父 餘慶

  • 元方の従父餘慶は閉戸三年の勉学で名を挙げ、監察御史・鳳閣舎人を歴任。人材推薦に力を尽くし、孫逖・韋述ら後の名士を見出した。「方外十友」(趙貞固・盧藏用・陳子昂・杜審言・宋之問・畢構・郭襲微・司馬承禎・釈懐一)の一人。太子詹事で終わり諡は荘。

餘慶子 璪

  • 餘慶の子璪(字仲采)は洛陽令として車駕在洛中の奸豪取締りに功があり、宰相蕭嵩を誹謗する誘いを拒んだ清廉さで知られ、西河太守として虎害対策で檻穽を撤去しても被害を出さなかった逸話が伝わる。