新唐書卷一百十二 列傳第三十七 薛登
選挙制度批判
- 常州義興の人。父士通は隋の鷹揚郎将で唐に帰順し臨汾侯。登自身は文史に通じ徐堅・劉子玄と並称された。
- 天授中、左補闕として選挙の乱れ(縁故による推薦の横行)を批判する上疏を行い、隋の李諤の文章浮詞禁止令などを引いて実質重視の人材登用を求めた。
- 四夷の質子(人質)を長く都に留めることの危険性を、五胡十六国の先例(劉淵・石勒)を引いて論じ、早期帰国を進言した。武后には容れられなかった。
- 常州刺史として賊乱を鎮め、御史大夫として太平公主の権勢を頼む僧慧範を弾劾するが逆に讒言され左遷。開元初、東都留守などを経て73歳で没した。