新唐書卷一百十二 列傳第三十七 員半千
兵陣論と諫言
- 斉州全節の人、彭城劉氏の後裔で員姓を賜った家系。房玄齡に才を見出され『易』『老子』を講じるほどの学識を示した。王義方に「五百年に一人の賢者」と評され改名。
- 咸亨中、貧窮を訴え人材登用を求める上書を行うが返答されなかった。武陟尉として飢饉時に独断で穀倉を開き民を救い、一時投獄されたが薛元超の弁護で釈放。
- 高宗の「兵に三陣あり」との問いに対し「天の時・地の利・人の和」こそ真の三陣であると答え評価された。
- 控鶴内供奉の制度(浮薄な若者が任じられていた)の廃止を求めて左遷されるなど直言を貫き、五代の君に仕えて清廉な節を保った。94歳で堯山・沮水の地に没した。
附 石抱忠
- 石抱忠は長安の人。天官郎中として選挙を掌るが、綦連耀の獄に連座し誅殺された。
附 丘悅
- 丘悦は河南の人。撰述に優れ岐王傅に至った。