新唐書卷一百十二 列傳第三十七 王義方

李義府弾劾

  • 泗州漣水の人。孤独貧窮の中で母に孝を尽くし経学を修めた。行き倒れの旅人に馬を与えた逸話や、宰相の前で論戦し独孤悊を圧倒した逸話が伝わる。魏徴に才を見込まれ娘婿にと望まれたが固辞、後に徴の死後に受けた(「初めは宰相への追従を避けたが、今は知己への感謝から」)。
  • 張亮の獄に連座し吉安丞に左遷。任地では蛮夷を教化し礼を興した。張亮の兄子皎の遺骸を故郷に葬った義侠の逸話も残る。
  • 顯慶元(656年)年、侍御史として李義府が大理の囚人淳于氏を私的に釈放させ、丞畢正義を自殺に追い込んだ事件を弾劾。母の「忠を尽くせば死んでも恨みなし」との激励を受け上疏したが、高宗は義府を庇い、義方は萊州司戸参軍に左遷、以後不遇のまま55歳で没した。
  • 御史時代、住居購入で樹木の価値まで律儀に支払った清廉さが伝わる。門人員半千・何彦先が三年間喪に服し墓側に松柏を植えた。

附 何彥先

  • 何彦先は斉州全節の人。武后時に天官侍郎となった。