新唐書卷一百十一 列傳第三十六 唐璿

安西四鎮回復論

  • 京兆始平の人。明経に及第、営州戸曹参軍として突厥・奚・契丹の乱を独護山で破った。
  • 突厥の豊州包囲に対し「豊州を捨てれば辺境が危うくなる」と反対、高宗はこれに従った。安西副都護として吐蕃の焉耆侵攻後の混乱を収拾し、四鎮回復を建言した。
  • 涼州都督として洪源谷で吐蕃の莽布支を破り(六戦全勝、首二千五百級)、武后に賞賛された。夏官尚書・同鳳閣鸞台三品として西突厥の内紛への対処策が的中し、「休璟に諫言を聞くのが遅すぎた」と武后に評された。
  • 中宗の輔国大将軍・同中書門下三品・宋国公。晩年、権幸に頼って復相した点は世の批判を受けたが、辺境の地理に通暁し用兵を誤らなかったと評される。延和元(712年)年、86歳で没し荊州大都督・諡忠を贈られた。