新唐書卷一百十 諸夷蕃將 史大柰・馮盎・阿史那社爾・阿史那忠・執失思力・契苾何力・黑齒常之・李謹行・泉男生・李多祚・論弓仁・孫惟貞・尉遲勝・尚可孤・裴玢

史大柰――突厥から唐へ

  • 西突厥の特勒。処羅可汗に従い隋に入り煬帝の遼東遠征に功があった。高祖の太原挙兵に従い、桑顕和との飲馬泉の戦いで背後から騎兵を率いて勝利をもたらした。長安平定・薛挙・王世充・竇建德・劉黒闥討伐に功を重ね、姓「史」を賜り、右武衛大将軍・豊州都督・竇国公に至った。

馮盎(字明達)――嶺南の帰順

  • 高州良徳の人、北燕馮弘の裔孫。隋の仁寿初、獠族の反乱を平定し漢陽太守。隋滅亡後、嶺表で五万の兵を擁し番禺・蒼梧・硃崖を平定した。南越王の号を勧められたが「先業を辱めることを恐れる」と辞退した逸話が伝わる。
  • 武徳五(622年)年、唐に帰順し高州総管・越国公。貞觀初、謀反の疑いを受けたが魏徴の諫言(「懐柔すれば盎は必ず自ら来る」)により討伐は取りやめられ、盎は子智戴を入侍させて疑いを解いた。
  • 羅・竇の獠族反乱鎮圧で功を挙げ、左驍衛大将軍・荊州都督を贈られた。子智戴も知略に優れ左武衛将軍・洪州都督を贈られた。族人の子猷が御史との対立を金で解決した逸話も記される。

阿史那社爾――西突厥の帰順と亀茲平定

  • 突厥処羅可汗の次子。11歳で智勇を知られ拓設として鉄勒・回紇等を統べた。頡利可汗滅亡後、西方で都布可汗を自称するが薛延陀に敗れ高昌に拠り、唐に内属した。
  • 貞觀十年(636年)入朝、左驍衛大将軍・衡陽長公主の駙馬都尉。十四年、交河道行軍総管として高昌平定に廉潔さを示し、太宗に称賛された。
  • 二十一年、昆丘道行軍大総管として契苾何力・郭孝恪らと亀茲を討伐。多褐城・大撥換城を攻略し王を捕らえ、七十余城を降した。孝恪の私欲を戒め太宗に「二将の優劣は問うまでもない」と評された。太宗崩御に殉じたいと願うが許されず。永徽六(655年)年没、輔国大将軍・并州都督、昭陵に陪葬、諡は元。
  • 子道真は咸亨初、薛仁貴の吐蕃討伐に副将として従うが敗れ、免死・除民となった。

阿史那忠(字義節)――40年の宿衛

  • 蘇尼失の子。左屯衛将軍・定襄県主の駙馬。突厥可汗阿史那思摩の左賢王として塞外に出るが望郷の念から入侍を願った。薛国公・右驍衛大将軍として48年間宿衛を務め、金日磾に比された。鎮軍大将軍・諡貞を贈られ昭陵に陪葬。

執失思力――薛延陀戦と諫言

  • 突厥酋長。頡利可汗降伏後、渾・斛薩部落の懐柔にあたる。太宗の狩猟を諫めた逸話が二度記される。薛延陀十万の侵攻を金山道で防ぎ六百里を追撃、江夏王李道宗と共に残党を破った。
  • 九江公主の駙馬・安国公。房遺愛の獄に連座するが戦功により死を免れ巂州に流された。麟德元(664年)年、公主の封邑を回復、勝州都督・諡景を贈られた。

契苾何力――涼州の忠節

  • 鉄勒の可汗の孫。貞觀六(632年)年、母と共に唐に内属。吐谷渾討伐で万均兄弟を救い戦功を挙げるが功を争われ憤慨する逸話がある。
  • 薛延陀に脅されて連行された母・弟を訪ねる途中、毘伽可汗に捕らえられ自ら耳を切って忠節を誓った。太宗の信任は揺るがず、崔敦禮の交渉で帰還した。公主降嫁の使者派遣を諫め毘伽の内紛を予見する策を献じた(的中)。
  • 太宗の高麗親征で負傷しながらも刺客高突勃を「主に忠なる義士」として助命した逸話が伝わる。永徽中、賀魯の乱を弓月道大総管として鎮圧、郕国公。
  • 龍朔初、遼東道行軍大総管として鴨緑江を渡り高麗軍を破り、鉄勒九姓の反乱も懐柔と誅罰を使い分けて鎮定。李勣と共に平壌を攻略し高麗王を捕らえた。総章・儀鳳間に没し輔国大将軍・并州大都督・諡毅を贈られた。
  • 大明宮の白楊を巡る詩句の逸話(「白楊多悲風、蕭蕭愁殺人」)が伝わる。

子明

  • 子の明は柏海道経略使として吐蕃戦に功があり左威衛大将軍を襲封。46歳で没し涼州刺史・諡靖を贈られた。

黑齒常之――河源軍の防衛

  • 百済西部の人。蘇定方の百済平定時に一度は帰順を拒んで抵抗するが、劉仁軌の招諭に応じて降伏。
  • 儀鳳三(678年)年、李敬玄・劉審禮の吐蕃戦で敢死隊五百を率い夜襲、河源軍副使に進む。烽七十所を築き屯田五千頃を開き、蕃の侵入を七年間許さなかった。燕国公。
  • 突厥討伐で機知に富む戦術(列炬で烽燧を偽装)を用いたが、爨宝璧の独断専行に連座し、周興らの誣告で捕らえられ縊死した。賞賜を部下に分与し私財を残さなかった清廉さが伝わる。

李謹行――靺鞨出身の名将

  • 靺鞨の人、父突地稽は隋末に唐へ帰順し燕州総管。李姓を賜る。
  • 謹行自身は営州都督として財を蓄え夷人に畏怖された。積石道経略大使として論欽陵の十万の兵を鼓と旗で威嚇して退けた逸話が伝わる。上元三(676年)年、青海で吐蕃を破り燕国公。没後、幽州都督を贈られ乾陵に陪葬。

泉男生(字元德)――高麗の内紛と唐への帰順

  • 高麗蓋蘇文の子。莫離支・大莫離支として国政を掌るが、弟男建・男産との対立により追われ、国内城に拠って契丹・靺鞨の兵と共に唐に内属、子献誠を通じて援助を求めた。
  • 平壌道行軍大総管として哥勿・南蘇等の城を降し、李勣の平壌攻略にも協力、高麗王高蔵を捕らえる功を挙げた。右衛大将軍・卞国公。遼東の民政を寛政で治め民心を得た。46歳で没し并州大都督を贈られた。

子献誠

  • 子献誠は右衛大将軍兼羽林衛。武后主催の射芸競技で自ら退いて謙譲を示す逸話が伝わるが、来俊臣の誣告により縊殺され、後に冤罪が晴らされ右羽林衛大将軍を贈られた。

李多祚――神龍革命の功臣

  • 靺鞨の酋長の後裔。右鷹揚大将軍として黒水靺鞨・室韋・孫万栄の乱を鎮圧、右羽林大将軍として北門衛兵を統括した。
  • 張柬之に説かれ、張易之・昌宗誅殺と中宗復位の政変(神龍革命)に参加。中宗復位後、遼陽郡王・食実封八百戸。
  • 節愍太子の武三思誅殺事件では按兵不戦の姿勢を取ったが宮闈令楊思勖に討たれ、二子と共に殺害された。景雲初、官爵を追復された。

李湛

  • 李義府の末子、右散騎常侍として神龍革命に功があり、開元十年に没した。

論弓仁――吐蕃将の帰順

  • 吐蕃の族出身、父欽陵は吐蕃の宰相。聖曆二(699年)年、吐渾七千帳を率いて帰順し左玉鈐衛将軍・酒泉郡公。朔方軍の前鋒として活躍し、突厥九姓の乱を鎮定、撥川郡王・諡忠を贈られた。

孫惟貞(字瑀)――河陽・徐州の戦功

  • 開元末、左武衛将軍。粛宗の霊武挙兵に募兵で協力し、史思明の河陽包囲を撃破。李光弼の下で徐州を守り史朝義討伐にも功を挙げ蕭国公。

尉遲勝――于闐王の譲位

  • 于闐国王。天寶中に入朝し玄宗の宗室女を娶る。安禄山の乱に際し弟曜に国事を委ね自ら唐に赴援。国を弟に譲り宿衛にとどまった兄弟譲国の美談として知られる。原王傅で没し涼州都督を贈られた。

尚可孤――神策軍の勇将

  • 東部鮮卑宇文氏の別種。安禄山・史思明に仕えた後に帰順、神策大将として活躍。李希烈の乱、朱泚の乱で戦功を重ね馮翊郡王・司空を贈られた。謹厳で功を誇らなかった人柄が評される。

裴玢――清廉な節度使

  • 疏勒王の五世祖の裔。金吾将軍論惟明の下で功を挙げ忠義郡王。山南西道節度使として蔬食弊衣の質素な生活を貫き倉庫を充実させた。尚書左僕射・諡節を贈られた。

史評

史論

  • 贊に曰く、夷狄の性質は素朴で義を知る者は動じない。史大柰らはひたすら君に仕え、功績を挙げて天子の信任を得た。渾瑊・執失・光顔らも同様に忠誠を貫いた将であり、それぞれ本伝があるためここに類として付す。