新唐書卷九十四 列傳第十九 侯君集

吐蕃・高昌平定から謀反誅殺へ

  • 侯君集、豳州三水の人。秦王府以来の腹心で玄武門の変にも尽力、潞国公。貞観四年(630年)兵部尚書。
  • 吐谷渾討伐では李靖の副将として積石道行軍総管を務め、庫山の戦いで大勝、平定に貢献。高昌討伐では交河道行軍大総管として麹文泰の死後もあえて追撃を控え「墓前で襲うのは問罪ではない」と正攻法を貫き、都城を包囲して麹智盛を降した。
  • しかし高昌で私的に財宝・婦女を掠奪した罪で下獄されかけ、岑文本の諫言(功を録し過を忘れよの故事)により赦された。恨みを抱いていた侯君集は、皇太子承乾の廃立を恐れる心理につけ込まれ、婿の賀蘭楚石を通じて承乾の謀反計画に加担。承乾事件の発覚により捕らえられ、太宗は「刀筆吏に辱められたくない」と自ら尋問したが弁明できず処刑された。臨刑に「二国を破った功に免じ一子を存し祭祀を継がせてほしい」と乞い、太宗はその妻子を嶺表へ流すに留めた。
  • なお李靖が「侯君集は謀反の兆しあり」と太宗に告げていた逸話が伝わる。