新唐書卷九十三 列傳第十八 李靖

南北平定の名将

  • 李靖、字は藥師、京兆三原の人。舅の韓擒虎に「孫子・呉子を語れるのはこの人しかいない」と評された。隋の馬邑丞として高祖の異心を密告しようとしたが果たせず、捕らえられた際に「天下の暴乱を除こうとするなら、私怨で忠義の士を殺すのか」と叫び秦王に救われた。
  • 蕭銑討伐で武徳四年(621年)夔州から江陵へ進撃、速攻策を主張して銑を降伏させた。輔公祏討伐でも「敵は堅固な陣を頼みに持久戦を狙っている、意表を突くべき」と献策し丹陽を陥落させた。江南平定後、嶺南招撫でも功があり、九十六郡・六十余万戸を帰順させた。
  • 貞観年間、突厥討伐で定襄道行軍総管として三千騎で頡利可汗を急襲し敗走させ、代国公。頡利の降伏交渉中、唐儉の使者滞在にもかかわらず「機を逃すな」と夜襲を決行し、頡利を捕らえ陰山以北を平定した。蕭瑀の弾劾(略奪の放置)を受けたが太宗は不問とし尚書右僕射に進めた。
  • 晩年、吐谷渾討伐に再起し積石山を越えて大破、伏允を自死に追い込んだ。高甑生の誣告に遭うも自ら門を閉ざし謙抑を貫いた。貞観二十三年(649年)卒(年七十九)、司徒・并州都督を追贈され昭陵に陪葬、諡は景武。

兄 端・弟 客師

  • 兄の李端は梓州刺史、弟の李客師は右武衛将軍・丹陽郡公として戦功を重ね、九十歳で卒し幽州都督を追贈された。

孫 令問

  • 孫の李令問は玄宗の藩邸時代からの側近で竇懐貞誅殺の功により宋国公。子の回紇との縁組事件に連座し撫州別駕に貶され卒した。

五代孫 彦芳

  • 五代孫の李彦芳は大和年間、家に伝わる高祖・太宗の直筆の詔書を朝廷に献上し、文宗に大切にされた。李靖佩用の玉帯・火鑒等の遺品も禁中に留め置かれた。