新唐書卷八十九 列傳第十四 唐儉

太原起兵の功臣

  • 唐儉、字は茂約、并州晉陽の人。高祖・秦王と旧知で挙兵を勧めた。呂崇茂の乱討伐で捕らえられたが、獨孤懷恩の謀反を密告し窮地を救った功で、莒国公・遂州都督となった。貞観年間、頡利可汗への使者として和議を成立させ、李靖の奇襲を助けた。永徽初め致仕し特進を加えられ、顯慶初め卒(年七十八)。弟の唐憲も太原起兵に参与し金紫光禄大夫に至った。

儉裔孫 次

  • 裔孫の唐次、字は文編。竇参に見出されたが竇参失脚に伴い開州刺史に左遷され、讒毀を受けた古の忠臣賢士の事例を集めた『辯謗略』三篇を撰したことで帝の怒りを買い夔州刺史に転じた。憲宗即位後に召還され中書舎人となり、『辯謗略』は学士沈傳師らにより増補され『元和辨謗略』と改題された。

次子 扶

  • 子の唐扶、字は雲翔。山南宣撫使として、二十八年間獄に囚われた鄧琬父子の冤罪を上奏して釈放させた。中書舎人・福州観察使を経て卒したが、治績は振るわず、没後は奴婢が財産を争うほどであった。

次子 持

  • 扶の弟唐持、字は德守。渭南尉のとき京兆尹杜悰の私的な口利きを拒んだ逸話で知られる。朔方・昭義節度使を歴任して卒した。

持子 彦謙

  • 子の唐彦謙、字は茂業。詩才に優れたが不遇で、王重榮の幕府に仕え晉・絳二州刺史を歴任、最終的に閬・璧二州刺史で終わった。