新唐書卷八十九 列傳第十四 屈突通
隋の忠臣から唐の忠臣へ
- 屈突通、先祖は昌黎徒何の人。隋で虎賁郎将となり、隴西の牧簿検査で隠された馬二万匹を摘発し法を厳格に適用したが、千五百人の処刑を諫めて減刑させた逸話で知られる(世に「屈突通に逢うより艾を食え」と言われるほど厳格)。
- 高祖挙兵時、河東を守って抗戦したが、桑顯和の敗北後に潼関でも劉文靜に敗れ、京師陥落後もなお抵抗を続けたが、部下の離反により捕らえられた。「臣は臣節を尽くせず本朝の恥となった」と述べ、高祖は「忠臣なり」と評し兵部尚書・蔣国公に任じた。
- 秦王の元で薛仁杲討伐・王世充討伐に従軍し、清廉さ(戦利品を一切取らなかった)で称えられた。竇建德来援時にも軍功を挙げ、王世充平定の論功第一となった。陝東道大行台右僕射・洛州都督を歴任し、貞観年間に洛州都督として卒した(年七十二)。太宗廟に配享され、後に司空を追贈された。