新唐書卷八十八 列傳第十三 裴寂

太原起兵の功臣、晩年の失脚

  • 裴寂、字は玄真、蒲州桑泉の人。晉陽宮副監として高祖と親しく交わり、劉文靜の計画に協力して挙兵を促した(宮女・軍需物資を提供)。大将軍府長史・魏国公を経て唐建国後は尚書右僕射となり「裴監」と呼ばれるほど厚遇された。
  • 武徳二年(619年)劉武周討伐で大敗を喫し譴責されたが赦された。趙王元景に娘を嫁がせるなど恩寵は続き、左僕射・司空にまで昇った。
  • 貞観年間、僧法雅の妖言事件に連座して免官、封邑を削られ帰郷。その後も奴の密告事件(妖言を隠した罪など四つの罪)で靜州に流されたが、山羌の反乱鎮圧の功により召還され、京師で病没した(年六十)。子の律師は臨海長公主に尚した。

太原元謀の功臣たち(附伝)

  • 高祖は太原起兵の功により、秦王・裴寂・劉文靜に「二死を恕す」特権を、長孫順德・劉弘基・竇琮・柴紹・唐儉・殷開山・劉世龍・劉政會・趙文恪・武士彟ら十四人に「一死を恕す」特権を与えた。武德九年(626年)には功臣封戸を定め、裴寂を筆頭に総勢四十三人が序列づけられた。

趙文恪

  • 并州の人。都水監に抜擢されたが、劉武周の太原侵攻時に浩州救援に失敗して城を棄て、下獄死した。

李思行

  • 趙州の人。長安の偵察で功を挙げ、嘉州刺史・樂安郡公に至った。

李高遷

  • 岐州の人。高君雅捕縛の功で左三統軍。突厥来寇時に馬邑守備に失敗し除名されたが、後に資州刺史を務めた。

姜寶誼

  • 秦州上邽の人。劉武周軍に二度捕らえられ、二度目は脱走を謀ったところを殺された。高祖はその忠節を惜しんだ。

許世緒

  • 并州の人。隋の滅亡を予見して高祖に挙兵を勧めた。蔡州刺史・真定郡公に至った。

劉師立

  • 宋州虞城の人。もと王世充の親将。玄武門の変に参画し左驍衛将軍・襄武郡公。吐谷渾との戦いでも功を挙げた。

劉義節

  • 并州の人。財政再建(街苑の樹木を薪として換金する策等)に功があり太府卿・葛國公。子孫の劉思禮は武后時代、綦連耀の謀反事件に連座して一族数十家が誅殺された。

錢九隴・樊興・公孫武達・龐卿惲・張長遜・張平高・李安遠・馬三寶・李孟嘗・元仲文・秦行師

  • いずれも太原起兵以来の功臣で、各地の刺史・大将軍等を歴任した。馬三寶は柴紹の家僮出身で平陽公主を助けて活躍した逸話で知られる。

【贊】

  • 賛に曰く、応龍が翔けば雲霧が従い、大風が吹けば万物が呼応するように、高祖の受命に際し二人(劉文靜・裴寂)はその才によって輔翼した。文靜は軍功によって自ら進み、寂は専ら旧誼によって顕位に昇った。近しい者ほど疎まれやすく、文靜は先に讒言で誅され、寂も後に妖言事件で退けられた。蕭何・曹参とは大きく異なるというべきである。