新唐書卷八十七 列傳第十二 蕭銑
梁の再興と滅亡
- 蕭銑、後梁宣帝の曾孫。祖の巖は隋に叛いて陳に降り、陳滅亡後に文帝に誅された。母への孝心篤く、外戚として羅川令に抜擢された。
- 大業十三年(617年)岳州の反乱勢力(董景珍ら)に推され挙兵、梁公と称し十月に自立。沈柳生の帰順を受け入れたが、内紛(柳生による徐德基殺害)を経て柳生を斬り軍紀を正した。義寧二年(618年)皇帝を僭称し百官を置き、開元の建元。景珍・雷世猛らを諸王に封じ、江陵に都を定め嶺南まで勢力を拡大(勝兵四十万)。
- 武徳四年(621年)李孝恭・李靖の軍に清江口で大敗、江陵を包囲されて降伏を選んだ(「私を殺すべきで民に罪はない」と述べた)。長安で斬首(年三十九)。梁は建国から五年で滅んだ。
賛(蕭銑伝末)
- 賛に曰く、銑は梁の子孫として文吏から興り東南を制したが、荊楚の乱を好む風土がそうさせたのであろう。武勇には欠けたが文才はあり、力尽きても言葉で自らを飾らず縄目についても屈しなかった態度は評価に値する。