新唐書卷八十六 列傳第十一 薛舉

西秦の興亡

  • 薛舉、蘭州金城の人。容貌魁偉で武勇に優れ、財を蓄え辺境の豪族と結んだ。隋末、金城府校尉として募兵の任にあったが、大業末の飢饉と隴西の盗賊蜂起を機に挙兵、金城令郝瑗を欺いて捕らえ、西秦覇王を自称し秦興と建元。子の仁杲を齊公、仁越を晉公とした。
  • 皇甫綰の隋軍を天候を利用して撃破し枹罕を陥落、隴西一帯を制圧、大業十三年(617年)蘭州で帝号を僭称し、妻鞠を皇后、仁杲を太子とした。仁杲は秦州を攻略したが、高祖の関中入りを見て撤退。武徳元年(618年)唐の劉文靜・殷開山を高墌で大破したが、まもなく病没した。

薛仁杲

  • 力強く騎射に優れ「万人敵」と称されたが残虐で、俘虜への虐待や富者への拷問を常とし、父薛舉にも「終には吾が宗を覆さん」と危惧された。薛舉の死後即位したが、秦王李世民の持久策により糧が尽き、淺水原の戦いで宗羅睺が敗れると降伏、長安に送られ処刑された。薛氏父子の隴西支配は五年で滅んだ。